令和元年6月定例県議会【ア. 朝鮮通信使の資料の保存と活用について】

「日韓交流事業について」

(3)日韓交流の良き歴史的記憶の形成について

ア.  朝鮮通信使の資料の保存と活用について

次に、日韓交流の良き歴史的記憶の形成についてということで、数点お伺いいたします。
冒頭述べましたように、日本にとって韓国は、一番近い隣国であり長い交流の歴史があります。その隣国同士が、いがみ合っていていいことは一つもありません。良き隣国同士としての関係を築いていくことが望ましいことは言うまでもありません。では、そのためにどうしたらいいのでしょうか。私は、歴史上の不幸な出来事について正しい歴史認識と共通理解を求めていくという取り組みと併せ、両国のよりよい交流の歴史的記憶を創り、再生産していく取り組みが必要と考えます。歴史的記憶は、今の時点における過去の想起でありますので、常に新たに創られていくという面があります。また、忘れられていた過去の記憶を再び表に出すことは、記憶の再生産であります。つまり、歴史的記憶は、新たに創られ、再生産されていくものなのであります。
私たちは、これまで日韓の不幸な時代の歴史的記憶が、日韓関係悪化の背景にあることを見てきました。そうであれば、よりよい日韓関係を築いていくためには、日韓交流のよき歴史的記憶を積極的に創り、再生産して、そのよき歴史的記憶を日韓両国民が共有するようにしていくことが必要なのではないでしょうか。
そういう意味において2017年10月、日韓の朝鮮通信使に関する資料が、ユネスコ世界記憶遺産に登録されることが決定したのは極めて意義深いことでした。「日韓の平和構築と文化交流の歴史」と副題しての世界記憶遺産登録への申請は、江戸時代の朝鮮通信使が、豊臣秀吉の朝鮮出兵により破綻した国交を回復して両国の平和的な関係の構築と文化交流による相互理解に寄与し、およそ260年間にわたる平和の維持に貢献したとの認識に基づくもので、その歴史的経緯は、平和への普遍的価値があり世界記憶遺産に値するものと評価され登録が決まりました。
朝鮮通信使は、将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、祝賀の使節として派遣されるようになったものですが、江戸時代12回の派遣のうち11回、本県の下関と上関に停泊滞在しております。玄界灘から瀬戸内海航路への中継地点であり本州への入り口である下関(赤間関)と潮待ちの港として瀬戸内海航路の要衝地であった上関は、朝鮮通信使の旅程においては重要な地点であったと思われ、そうした深いゆかりの地が二か所もある本県には、朝鮮通信使に関する歴史的資料が、多く残っており今日に伝わっています。
世界記憶遺産に登録された朝鮮通信使の資料は、日韓あわせて111件333点でして、日本の登録資料は48件209点ですが、そのうちの8件25点は山口県所在の資料です。こうしたことから窺えるのは、李氏朝鮮と徳川幕府の仲介役を果たした対馬藩を別といたしますと、本県(当時の毛利藩)の朝鮮通信使への応接及びその一行との交流は、その旅程の各地の中で最も優れていて密度の高いものであったのではないかということです。
朝鮮通信使のユネスコ世界記憶遺産登録が決定したとき、村岡知事は、コメントを発表して「今後は、下関市、上関町をはじめとする関係各県市町と連携してこの価値ある資料の保存と活用を図るとともに、両国の友好関係のますますの発展に努めていきたい。」と表明しておられます。
そこで、お尋ねです。朝鮮通信使に係る歴史的資料の保存と活用は、日韓交流の良き歴史的記憶の形成そのものであり、よりよい日韓関係の構築につながる取組みであります。
下関市は、毎年夏の馬関まつりのときは、朝鮮通信使の行列を再現すると同時に、その時期に合わせて市の歴史博物館で朝鮮通信使に関する資料を展示していますし、昨年は、2月から3月にかけてその下関市立歴史博物館でユネスコ世界の記憶登録記念の特別展を開催しました。また、上関町は、平成28年から毎年「朝鮮通信使上関到来まつり」を開催していますし、3回目となる昨年は、そのまつりに併せて「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流上関大会」を主催しています。
つきましては、県は、今後、朝鮮通信使の価値ある資料の保存と活用に、どう取り組んでいくお考えなのか、ご所見をお伺いいたします。