令和2年2月定例県議会【1.(4)公の施設の見直しについて】

(4)公の施設の見直しについて

ア.基本的方針について

行財政構造改革の一環である「公の施設の見直し」では、平成30年2月にその基本方針が示されました。①地元の利用割合が高い施設は、市町への移管を基本とし、移管できないものは廃止。②利用が低迷している施設や県民ニーズに合致していない施設は、廃止を基本とする。ただし、希望があれば市町への移管。③地域振興の観点から、市町へ移管した方が効果的な活用が図られる施設については、市町へ移管を打診。④その他、すべての施設について、今後の利用見込みや施設の老朽化等の状況も踏まえ、複数施設の統合や運営手法の抜本的な見直しを実施の4方針であります。

これら4方針のうち、③ ④については異論はないと思いますが、① ②については、見落とされている重要な観点があるのではないかと思っています。①の場合は、県内市町の市民、町民は、山口県民であるという観点です。そういう観点からすれば、特定の市町に地元利用の割合が高い県施設があってもいいのではないでしょうか。

②の場合は、地域戦略の観点です。その観点から存在意義が失われて利用が低迷している施設の廃止は止むを得ないでしょう。ただ、地域戦略の観点から存在意義が明確な施設は、利用状況や県民ニーズ以上に、地域発展のためにその施設をどう活用し、生かすかが考慮されるべきと考えます。

公の施設の見直しの基本方針については、以上申し上げましたような考えもあることに留意して、今後の検討や協議を行っていただくよう要望いたします。

イ.秋吉台芸術村について

秋吉台芸術村、正式には秋吉台国際芸術村ですが、この施設は、本県が文化芸術の分野で、特に現代音楽で世界の最高水準、世界の最先端と係わることを可能にする施設です。これを、本県の地域戦略に生かさない手はありません。秋吉台芸術村は、これを金の卵を産む鳥にしていくことを、本県の地域戦略の中に文化政策として位置づけるべきだと考えます。

1998年(平成10年)の夏、秋吉台国際芸術村のオープニングイベントで20世紀不朽の名作オペラと位置づけられている「プロメテオ」が上演されました。「プロメテオ」は、イタリアが生んだ現代音楽の巨匠ルイジ・ノーノの集大成的作品で、独唱、合唱、管弦楽とライブ・エレクトロニクスを駆使し、極めて複雑な音響的、時間的構造を持つことから音の反響の仕方まで厳密に計算して作曲されています。

このオペラ「プロメテオ」を、作曲したノーノがイメージしているように表現できる音楽ホールは、世界的にも稀ですが、秋吉台芸術村のホールはそのひとつです。秋吉台芸術村を設計した磯崎新氏は、ホールにおいてはこのノーノの「プロメテオ」の上演を念頭に設計を構想し、それがうまくいったことを、ここでの上演で確認しています。

古典的なクラシック音楽と比べて現代音楽は、愛好者は少ないかもしれませんが、現代音楽を通して今日の時代だからこそ可能な新しい領域の音楽創造に係わることは意義ある貢献であり、そういう施設が在ることは、本県の評価を国内外において高め、そのことは様々な面でプラスの影響をもたらすものと思われます。勿論、秋吉台芸術村は、現代音楽だけではなくあらゆるジャンルの音楽全般、また美術、ダンス、演劇など幅広い芸術文化活動に対応できる施設であることは言うまでもありません。

また、秋吉台芸術村は、アーティスト・イン・レジデンス(滞在型創作活動)ができる施設として世界的に知られ評価されています。私が、1月にこの施設を視察した時、ドイツ在住の日本人アーティストで、芸術村のアーティスト・イン・レジデンス事業の支援を受けて、ここに滞在し創作活動に取り組んでいる方に会いましたが、彼は、秋吉台芸術村は、世界のアーティストの間では有名ですと語っていました。

このように秋吉台芸術村は、世界的水準の芸術文化施設ですが、この施設を最も利用しているのは、県内の小中高校生、大学生でして、低料金で宿泊もできる施設もあることから、吹奏楽などの合宿練習の場としても大いに活用されています。こうした施設は、県外の高校や大学にとっても魅力的なようで、利用の申し込みが県外の高校、大学からも数多くあるようです。秋吉台芸術村は、芸術を志す若い世代を山口県に引き寄せる、そういう魅力を発しているようです。

さらに、秋吉台芸術村は、その建物そのものがみごとな造形作品であり、背景の山々とも見事に調和していてワールドクラスの文化施設として遜色ない空間を形成しています。本県では、元乃隅神社が、その魅力的な風景がSNSで拡散して多くの人々が訪れる所となりましたが、秋吉台芸術村は、それ以上に世界各地から多くの人々が訪れる地になる可能性を秘めているように私には思われます。

秋吉台芸術村について思うところを申し述べてまいりましたが、この施設が公の施設の見直しにおいて廃止になるのではないかとの懸念が広がっています。発端は、昨年8月23日に読売新聞が、秋吉台芸術村・秋吉台青少年自然の家の県2施設は廃止の方針との記事を掲載したことです。その翌月に開催された行財政改革統括本部会議では、公の施設の見直しについて中間報告が行われ、芸術村は、県施設として存置する192施設には含まれず、関係市町とさらに協議するものとされた12施設に分類されました。このことから、廃止への懸念は一層強まり、県民の間で存続を求める署名活動が始まりまして年明けの1月に1万8000名を超える多くの署名が県に提出されました。また、2月には山口大学の先生方20名の有志による存続を求める要望書が提出されています。知事は、記者会見においては、「廃止と決めたわけじゃない。」と述べられる一方、年間1億6000万円もの財源を投入し続けることの財政上の困難さも語っておられます。

芸術村は創立当初からすると、利用率は今日増加しており、幅広く県民の様々な文化芸術活動に使われていることから県民ニーズにも合致していると言えます。また、地元美祢市だけではなく県内各地からも多くの利用があり、公の施設の見直しの基本方針が想定している廃止の施設には該当しないと思われます。さすれば、唯一考えるべき課題は、知事が述べていることで、秋吉台芸術村の維持管理や運営事業に、1億6000万円もの県費を毎年投入し続けることが妥当かどうかということです。

私は、この課題解決の方向は、はっきりしていると思います。それは、先にも申し上げたことですが、秋吉台芸術村を、金の卵を産む鳥に相当する施設にしていくことです。その可能性を追求して必要とあらば現在以上に財源と人を投入することもありと考えます。そのためには、改めて秋吉台芸術村を本県の地域戦略の中において文化政策を担う拠点施設として位置づける必要があります。地域戦略としての文化政策は、「選択と集中、そして重点化」でありまして、その位置づけが明確であれば、1億6000万円の県費投入も,生きることになると思われます。

ただ私は、秋吉台芸術村が、県の施設で在り続けるかどうかは本質的な問題ではないと考えています。大事なことは、67億円もの巨費を投じ「世界に広がる文化県やまぐちの創造」という大きな旗印のもと建設された秋吉台芸術村が、どのような形であれその可能性を最大限に生かし、活用され、輝いていくようにしていくことであります。従って、秋吉台芸術村において廃止という選択肢はないと考えます。それは、本県の地域戦略において文化政策の有力な武器を放棄するに等しいからです。

以上申し上げてきましたことを踏まえ、お尋ねいたします。県の公の施設の見直しにおいて廃止が懸念されている秋吉台国際芸術村は、廃止ではなく存続し、この施設が有する可能性が最大限発揮されるよう事業運営を図っていくべきであると考えますが、ご所見をお伺いいたします。