『3・11の教訓と上関原発』

『3・11の教訓と上関原発』

「幸運」に恵まれた福島原発事故
田坂広志著「官邸から見た原発事故の真実」を読むと、3・11の大震災、大津波そして福島原発事故は、我が国にとって国難というべき未曾有の大災害であったが、それでも日本はついていたとの感をもつ。
田坂氏は、東日本大震災の直後、平成23年の3月から9月まで、内閣官房参与として官邸に入り、原子力事故への緊急対策に取り組んだ。
3月29日、官邸に入った彼は、原発事故のシュミレーション結果として、「首都圏三千万人避難」という最悪事態もあり得ることを知る。その日の夜、田坂氏は官邸の駐車場で夜空を見上げながら、「これは映画ではない。」と自らに言い聞かせたそうだ。そして、そうした最悪事態にならなかったことを、彼は「幸運に恵まれた。」と述懐している。
「福島原発事故は、不幸な出来事であった。しかし、幸運なことに、文字通り幸運なことにさらなる水素爆発も起こらず、大きな余震や津波も起こらず、原子炉建屋や燃料プールのさらなる大規模崩壊も起こらなかったため、最悪のシナリオに進まずに済んだ。」、これが原発事故対応の中枢にいた田坂氏の偽らざる実感である。

天の警告
私は、東日本大震災は我が国の在り方に転換を求める天の警鐘であり、警告であったと見ている。そのひとつが、原発拡大路線からの転換である。3・11の大震災が起こる前までの我が国のエネルギー政策は原発拡大路線で、2030年までに、現在五十四基ある原発を、さらに十四基増設・新設し、我が国の総発電量における原子力発電の割合を、三割から五割に拡大するというものであった。このエネルギー計画が閣議決定されたのは、平成22年の6月のこと、それから一年も経ずして発生した福島原発事故は、このエネルギー計画を白紙に戻し根本的な見直しを迫ることになった。
プレート境界が集中し、世界の中で最も大地震が発生しやすい地理的構造の日本列島に、いったん事故が発生した場合、最悪国土全体が放射能汚染で住めなくなる可能性がある原発を、快適な生活と経済的利益のために次々と増設していくことの無謀さに対する天の警告を、我々は福島原発事故から読み取るべきなのではないか。

教訓1 小さく分散して自立的に
我が国の高度成長期1960年代の後半、大ヒットしたCMソングがある。髭の作曲家山本直純氏が、富士山を背景に気球に乗って身を乗り出してタクトを振り、「大きいことはいいことだ。」と歌う森永チョコのCMソングだ。四十数年も前のことだが強烈な印象が残っていて、今でもそのCM画面を思いだすことができる。
このCMが大ヒットした背景には、「大きいことはいいことだ。」のフレーズが、当時
の時代風潮とピッタリ一致していたことがある。確かに我が国は戦後、政治・経済のみならずあらゆる分野において「大きいことはいいことだ。」路線を邁進し、出来るだけ「大きく集中して効率的に。」ということでやって来た。その結果が、ある意味東京一極集中と地方の疲弊であるとも言える。そして、その構造を支えるエネルギー供給の核に原子力発電が位置づけられていた。
しかし、それは本来の日本の在り方ではない。自立した地方、ローカルが多様に栄える国の在り方こそ、日本本来の姿であって、それに立ち返ることをこのたびの震災事故は促している。
これから我が国は、「小さく分散して自立的に」という方向に様々な在り方を転換していくことが求められている。今日、国民の大方のコンセンサスになっている脱原発依存社会への転換とは基本的にそういうことで、特にエネルギーと食料面で地域の自給度を高め、激しく変動するグローバル経済に振り回されない自立した健康な地域で構成される国家日本にしていかなければならない。このことが、東日本大震災から学ぶ最大の教訓ではないだろうか。

脱原発依存社会と上関原発
現民主党政権は、大飯原発の再稼働を決断したが脱原発依存の方針は変えておらず2030年を目途に、総発電量における原発依存の割合を、現状の30%から15%へ半減する方向で、エネルギー計画の見直し案をまとめようとしている。エネルギー計画の見直しは、八月中に結論が出されるようであるが、最有力の原発依存15%案になった場合、既設の原発稼働は、原子炉寿命四十年間の範囲内で認めるも、原発の新設・増設はしない計画となる。
見直し以前の計画で、新設・増設が予定された14基の原発建設の進捗度合いには大きな差があり、島根原発三号機のように建設は完成し試運転段階のものもあれば、上関原発のようにまだ準備工事段階でそれも緒についていないものもある。
島根原発三号機の稼働は、脱原発依存に向けての現実的対応としてあり得ても、上関原発の建設はあり得ないと見ている。もし仮に、上関原発が国のエネルギー計画で新規建設に位置づけられたとしたら、国のエネルギー政策が福島原発事故以前仁戻ったことを意味し、断じてあってはならない。脱原発依存社会を目指す方向に上関原発の建設はない。今夏の山口県知事選挙において、だれが新知事に選ばれても、この方向は変わらないし、変えてはならないと思っている。

(合志 栄一)

2012年7月17日