NO23『風鈴』

『風鈴』

夏に涼風を呼ぶ風鈴。次のような詩があります。

渾身口に似て虚空に掛かる
東西南北の風を問わず
唯一等に他のために般若を談ず
滴丁東了 滴丁東

 南宋時代の中国の偉大な禅師で、曹洞宗の開祖道元禅師の師である如浄禅師の作であります。
ある道元禅の大家は、不安の絶えない現代人がその不安の根源を断ち切るための法がこの詩に示されていると説いています。
「渾身□に似て」は、風鈴の全身が、□のようであるとの意。
「虚空に掛かる」は、虚空と云う何も無いところに掛かることは出来ないことから、何物にも依存せず、それ自ら在ることを意味しているようです。
「東西南北の風を問わず」は、何物にも依存していないので、東西南北どの方向から吹いてくる風かを、風鈴は問わないということです。
「唯一等に他のために般若を談ず」は、そういう風鈴は、どの方向からの風を受けようとも、等しく発する響きは悉く他のための真理の法となるとの意。
「滴丁東了 滴丁東」は、チリリン チリンと鳴り響く風鈴の音を漢字表現したものです。
不安の根源を断ち切る法は、「虚空に掛かる」の一句に端的に示されているように思われますが如何。この夏、風鈴の音に耳を澄ませながら、そういうことに思いを馳せてみるのもいいかもしれませんね。

(合志 栄一)

2015年7月15日

NO21『咲う(わらう)』

『咲う(わらう)』

天の岩戸開きの神話では、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の踊りを見て神々が咲っだのがキッカケで、岩戸に隠れておられた天照大御神が出御され、それまで暗くなっていた高天原が明るくなったとあります。
この神話は、古事記の神代の巻に録されていますが、興味深いのは、「わらう」が、「咲う」
と書かれていることです。
古事記の編纂者が、「笑う」を「咲う」と表記したのは、古代日本人にとって、「笑い」とは生命咲くことであったからではないでしょうか。
分子生物学者で遺伝子研究の世界的権威である村上和雄先生(筑波大学名誉教授)は、「笑い」には隠れている良い遺伝子の働きをオンにして、生命の働きを活発化し、健康に資する効用が
あると説いておられます。
このような今日の最先端科学が明らかにしている生命観は、天の岩戸開きの神話が物語って
いることとピッタリ符合しています。
現象的にどんな状況であっても、笑えば生命咲き明るくなる。
このことを信じて、今年も一年明るく笑って頑張りましょう。

(合志 栄一)

2015年1月1日

NO20『思うことから始まる』

『思うことから始まる』

松下電器(現パナソニック)の創業者・松下幸之助氏が、関西経済人会の講演にて「ダム式経営の効用」を熱心に語りました。ダムが水を溜めるように、人材や資金を溜めておき余裕を持って経営することの効用を説いた訳です。
講演が終り、参加者が質問しました。どうしたらダム式経営が出来るのでしょうか。」と。松下氏は、暫くうつむいて考え、答えました。「それは、ダム式経営をやろうと思うことです。」と。この回答に、会場からは失笑が漏れ、質問した人は、「まともに答えていない。」と思って憤然としたそうです。
ところが、この松下氏の言葉に、全身が震えるような感動を覚えた青年企業家がいました。京都セラミックを創業したばかりの、若き日の稲盛和夫氏、その人です。「そうか、思うことから始まるのか。」、深い感動の中で稲盛氏は、そのことを感得したのでした。
以後、彼は仲間8人で設立した京都セラミックを、上場大企業(現在社員7万人)にまで育て上げ、また、第二電電(現在のKDDI)を設立し経営を軌道に乗せ、最近では、日本航空(JAL)の再建を見事に成功させました。
この言葉、「思うことから始まる。」の受け止め方は様々でしょうが、夢を実現していく人生の真理が秘められていることは確かなようです。

(合志 栄一)

2014年7月1日

NO19 『歓迎 ケネディ大使』

『歓迎 ケネディ大使』

戦後のアメリカ大統領の中で最も人気があるケネディ大統領の長女キャロライン・ケネディさんが、昨年の秋に駐日アメリカ大使に就任しました。このことを心から歓迎し喜んでいます。
外交経験がないことを心配する向きもありますが、アメリカのロイヤルファミリーの筆頭であるケネディ家、そのケネディ家を代表する歴史的人物ケネディ大統領の愛娘であるキャロライン・ケネディさんの駐日大使就任は、間違いなく日本とアメリカの友好の絆を深め、その意義は大きいと思います。
「国が諸君のために何をなすことができるかを問い給うな。諸君が国のために何をなすことができるかを問い給え。」これはケネディ大統領就任演説の有名な一節ですが、彼は続いて次のように呼びかけています。
「わが友である世界の市民諸君。アメリカが諸君のために何をしてくれるかではなく、我々が共に人類の自由のために何ができるかを問い給え。」と。
ケネディ大使の就任を機に、我ら日本国民がこの呼びかけに応え、人類の自由と世界の平和の基礎としての日米協調、日米同盟関係が、よりしっかりしたものになっていくことを願っています。

(合志栄一)

2014年1月10日

NO18 『抜かずして勝つ剣』

『抜かずして勝つ剣』

友人のH氏は、剣道を生涯の趣味とする教士七段です。
ここ数年、剣道界の最高段位である八段への昇段を目指して精進、挑戦を続けていますが、なかなかうまくいきません。
剣道では、七段になるにも相当の年季と修練を要しますが、その練達の七段の剣士であっても八段への昇段審査の合格率は1~2%程度で、合格者の殆どの方が5~10回受験されています。
正しく難関中の難関であります。
H氏が、最近御縁が出来たある識者に、そのことを話したら「抜かずして勝つ剣を目指しなさい。」とアドバイスされたそうです。
「抜かずして勝つ剣」は、実際に刃を交わすことなく勝を制しますので、血を流しません。
そういう意味で「平和の剣」と言ってもいいでしょう。
日本の建国物語は、大和の地を平定する際、苦戦を強いられた神武天皇が、「刃に血ぬらずして勝つ」ことを叡慮されたと伝えています。
明治維新は、王政復古の大号令に始まりますが、そこでは諸事「神武創業の始に原(もと)づく」旨、宣言されています。
その後の、我が国の歩みは近代国家として目覚ましい躍進を遂げた半面、苦戦、苦闘の連続でありました。
そして今日、日本は、神武創業の故事に倣い「刃に血ぬらずして勝つ」ことに思いを致し、「抜かずして勝つ剣」の徳を備えた国となり、世界平和の大業を成就すべき時を迎えているのではないでしょうか。
H氏から聞いた「抜かずして勝つ剣」の話から、気宇壮大な希望の二十一世紀地球村ストーリーが浮かんできました。
もっとも、先ずは私たち自身が身近な人生百般において「抜かずして勝つ剣」の域に達したいものですね。

(合志栄一)

2013年7月1日

NO17 『人生の応援歌』

『人生の応援歌』

行きつけの居酒屋で、時々一緒になったお客さんとカラオケを歌い盛り上がることがあります。
そういう時の、持ち歌の一つが坂本冬美の「風に立つ」です。
この歌を知ったのは、平成14年の山口市長選挙に出馬した頃で、湯田の街のとあるスナックが、私を支持するグル―プ仲間の溜まり場のようになり、「風に立つ」を、皆で歌っては大いに盛り上がり勝利への闘志を燃やしたものでした。
選挙結果は見事当選、以来この歌は私の人生の応援歌となりました。
1番から3番まで、どの歌詞も私の気持ちにピッタリなのですが、特に2番の「泥にまみれて涙流しても、心に錦の華を持て」の一節は、グッと来ます。
1番、2番、3番とも締め括りは同じで「そうさ、人生やるっきゃないさ。」の繰り返し、ここを想いを込めて歌い終わると少し高揚した気分になります。 確かに色々あろうとも、やるっきゃない人生。
これからは、世のため人のため泥にまみれて、皆さまと共に喜びの涙を流す、そんな人生を歩んでいきたいと願っています。
時々この応援歌で自らを励ましながら。

(合志栄一)

2013年1月10日

NO16 『政治責任』

『政治責任』

我が家から歩いて10分ぐらいのところに人気の居酒屋がある。
店主Mさんをみんなが船長と呼ぶ。彼が多年にわたり主に舞鶴と小樽間の北海道航路大型フェリーの船長をやっていたからである。
38歳で船長職を務めるようになった時、Mさんは若くして船長になった喜びよりも、思い悩む日々がしばらく続いた。
「船長は、船の運航の最終責任者である。船の事故が起こったとき責任取るのも船長だ。しかし、実際は責任とれないのではないか。大勢の客が犠牲になるような事故が起こった時、たとえ死んでお詫びしてもすまない、責任取れない。どうしたらいいのか。」、Mさんの悩みはそういうことであった。
そして、彼はある思いに達する。「そうだ、乗組員から船長は『金玉が小さい。臆病者だ。』等々、なんといわれようと事故を起こさないために自分がやるべきと思うことは全てやる。
石橋を渡るのに一回叩いた上に、もう一回叩いて安全を確認する、そういう姿勢でやっていくことにしよう。」と。
以来60歳までの22年間、Mさんは一度も事故を起こすことなく船長としての任務を立派に全うした。
ビールを飲みながらM船長から聞いたこの話は、責任の自覚とはどういうことなのかを端的に物語っている。
大飯原発の再稼働が政治の責任で決断された時、M船長の話が思い出された。しっかりした責任の自覚があって信頼がある。
特に、政治にそのことが求められている。そんな思いを深める昨今である。

(合志栄一)

2012年7月17日

NO15 『四つ葉のクローバー』

『四つ葉のクローバー』

「おとうさん、これ。」
と言って、妻が渡してくれたのを見たら、若かりし日の私の顔写真の横に四つ葉のクロバーが貼ってあった。
結婚前のことらしいが、私が妻に四つ葉のクローバーをあげたのを、そういう形にして何かのファイルに挟んで大事にとっていたようだ。それを、いつの間にか忘れていたのが去年の秋、片づけものしている時に、何十年振りかに発見したのだった。
私は、子どもの頃から、四つ葉のクロ―バーを探すのが好きだった。
それが現在、私の後援会や女性の会のシンボルマークになっている。
始まりは、平成十年に参議院選挙に出た時、運動の盛り上げのために作った「うちわ」であった。特段打ち合わせをしたわけでもないのに、出来上がった「うちわ」を見たら、真ん中に四つ葉のクローバーがデザインされていた。
不思議な感もあるが、「幸せを招く」と喜ばれる四つ葉のクローバーが、そういう自然の流れの中で、我が会のシンボルマークとして定着した。
今年も一年、四つ葉のクローバーにふさわしい働きをすることを、年頭の誓いとしたい。

(合志栄一)

2012年1月8日

NO14 『毎日、少しずつ』

『毎日、少しずつ』

イエローハットの創業者、日本を美しくする会の相談役、鍵山秀三郎先生の講演を、久方ぶりに聞いて心に沁みました。
日常生活に即してのお話が、なぜか心に響きます。
そして、何か壮大なヴィジョンを話して、聞く人を魅了したいという誘惑に駆られがちな自分が恥ずかしくなりました。
特に、「成程!」と思ったのは、整理整頓に関しての質問に応えてのお話。「その内、まとめて一気に誰かが」ではなく、「毎日少しずつ、出来るだけ、私が」の心構えが大事とのこと。
妻に言い聞かせるのではなく、先ず自分から実行しようと心に期しました。

(合志栄一)

2011年7月15日

NO13 『父の笑顔』

『父の笑顔』

父を思うと、父の笑顔が浮かんでくる。
山口の我が家に来て3年、昨秋、父はにわかに旅立って逝った。
「同じ日本ではないか。」と言って、本籍、墓地を山口にすることを認めてくれた父。
陸士卒の職業軍人であったが、平和の大切さを誰よりも感じていた父。
母が言った年の暮、父は山口に来た。
以来、父妻娘私の4人の生活が始まった。
最初は、父のお世話をしているつもりであったが、父は、私たちの心の中の尊いものを引き出してくれた。
父が熊本から来てくれたおかげで、新しい家が建った。
父が山口に来て、4人兄弟の家それぞれが整っていった。
母が逝って3年7ケ月、父は子どもたちのために、やるべきことをやり尽くして逝った。
90年の人生すべてを包み込んだ笑顔を残して。

(合志栄一)

2011年1月8日