平成23年6月定例県議会 (1)脱原発について

(1)脱原発について
今、私たちは、かつて父祖の世代が廃墟となった戦後日本を見事復興したように、新たな日本復興のときを迎えております。
二万三千名を超える多くのとうとい人命が失われたこのたびの大災害、東日本大震災を単なる災害に終わらせてはなりません。東日本大震災は、今日の日本が内包する問題を浮き彫りにし、警告を発しています。
犠牲になられた方々の死を無にしないためにも、このことを真摯に受けとめ、真に安全で希望が持てる国、日本をつくっていくこと、そのことに向けて世代責任を果たしていくことが、今日生きているすべての日本人に求められています。
私が、このたび、上関原発について質問することといたしましたのは、東日本大震災に伴う福島第一原発事故は、原発大国化路線からの転換を日本に促す天の警告であったと受けとめているからであります。
そしてまた、山口県民の多くが、いまだ収束していない福島第一原発事故の報道に日々接し、本県の上関原発はどうなるのだろうと関心を向けているからであります。
それでは、通告に従い一般質問を行います。
私は、上関原発建設計画の中止とエネルギー政策の転換を国に求める立場を山口県は明確にすべきであると考えております。こうした考えに基づき、上関原発建設計画への県の対応についてお伺いいたします。
私は、石油や石炭等エネルギー資源のほとんどを海外に依存している我が国が、エネルギーの自給率を高めるために原子力発電に取り組むことは、国策として当然のことと考えておりました。また、発電時に二酸化炭素を出さないということで、地球温暖化対策としても、原子力発電は妥当な方向と思っておりました。
さらに、日本が世界の大国としての地位を将来にわたって保持していくためには、幾らかリスクがあろうとも、原子力の技術を、平和利用への限定は当然としても、持ち続けることが必要と考えておりました。
以上の意味で、私は、原発推進論者とまではいかなくても、原発肯定論者であり、容認論者でありました。
しかし、東日本大震災に伴う福島第一原発事故災害の深刻な事態を目の当たりにして、原発に関心を向け調べていくうちに、通常の生活、経済活動を原発に依存するのは間違っていると確信するに至りました。
原子力は、国家の存立や人類の生存のための最終的な非常手段としてはあり得ても、これを日常的なツールとして利用することは避けなければなりません。
理由は、二つあります。一つは、余りにもリスクが大き過ぎるということであります。その二は、原子力発電で生ずる放射性廃棄物の最終処理の方法技術は確立されておらず、別の形での深刻な地球環境汚染が進むということであります。
第一の理由、リスクが大き過ぎるということでありますが、私は、このたびの福島第一原発事故は、最悪の場合は、日本全土が放射能汚染で住めなくなる、まさしく国家壊滅の危機に瀕した事故であったと見ております。
我が国が商業用の原子力発電を始めることを決定した翌年、昭和三十五年に、科学技術庁の委託を受けて日本原子力産業会議が科学技術庁原子力局に提出した報告書があります。
「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」と題するこの報告書は、当時、我が国最初の商業用原子炉として計画が進められていた茨城県の東海発電所で最悪の大事故が起こった場合に、どれほどの被害が発生し、日本政府がその被害を補償できるか等を真剣に検討したものであります。
それによると、事故が発生した場合の物的損害は、最高で、農業制限地域が長さ一千キロメートル以上に及び、損害額は一兆円以上に達し得るとされております。
東海発電所から半径一千キロメートル以内には、北海道から九州までがほぼ含まれますので、圏外は沖縄だけで、日本の国土ほとんどが農業制限地域になる可能性があるわけであります。
農業が制限されるのは、土地が放射能汚染されて、産出された農作物は人体に有害で食べることができないということでしょうから、それは人が住めなくなるのと同義のように思われますが、最悪、日本全体がそうした事態になる可能性があることをこの報告書は示唆しております。
この報告書が想定した東海発電所の原子炉は、出力十六万六千キロワットでしたが、福島第一原発の原子炉は、一号機四十六万キロワット、二号機・三号機・四号機・五号機は七十八万四千キロワット、六号機は百十万キロワットであります。
報告書が想定した東海原発の三倍から七倍の規模を持つ原子炉が六基も林立している福島第一原発事故が最悪の事態になった場合は、日本全土が、農業制限どころではない、もっと深刻な放射能汚染に見舞われ、日本壊滅が現実となるということを思うとき、福島第一原発事故終息に向けての取り組みは、国の存立をかけた原子力との戦争であります。
原子力発電によって得られる生活の利便さ、経済的利益は大きいものがあるかもしれない。しかし、それは国をつぶす危険を冒してまで追求すべきものではない。少し生活が不便になろうと、経済的利益が失われようと、原子力発電への依存は減らしていく方向へ我が国のエネルギー政策を転換していく、そのことが今求められています。
第二の理由についても触れておきたいと思います。
原子力発電は、CO2を出さないからクリーンだとの見方があります。これは、原発の半面だけしか見ていません。原子力発電が危険な放射性廃棄物を排出していることを見落としているからであります。
原発をよく「トイレなきマンション」に例えることがありますが、確かに、原子力発電で生じた放射性廃棄物を地球環境を汚染しない形で処分する方法、技術は、いまだ確立されていません。原子力発電は、技術体系としては未完のまま、見切り発車的に実用化されてしまったと言えます。
そのため、放射性廃棄物は、その数量は増加する一方であるものの、最終処分場が世界じゅうどこにもなく、原発を持つ国にとっては、その処理が厄介で困難な課題となっております。
放射性廃棄物は、放射能濃度により、低レベル放射性廃棄物と高レベル放射性廃棄物とに分類されますが、高レベル放射性廃棄物の主たるものは、使用済み核燃料であります。
原発で発電のために使用された核燃料は、三年ないし四年で新しいものと交換されます。その際、使用済みとなった核燃料は、容器である燃料棒ごと、当面は原発敷地内の燃料貯蔵プールに保管されます。
我が国では、この使用済み核燃料は、核燃料サイクルの方針に沿って、次は青森県六ヶ所村に建設された再処理工場に搬入されます。
この再処理工場で、使用済み燃料は、硝酸で溶かされ、それからプルトニウムとウランが再利用目的で抽出されることになっています。そして、残った廃液は、ガラスで固めてキャニスターという容器におさめられ、三十年から五十年間冷却しながら貯蔵した後、最終的には地層処分する計画になっております。地層処分とは、地下三百メートル以上の深い地中に埋めることであります。
以上は、我が国の核燃料サイクル計画で想定されていることでありますが、現時点では、ガラス固化体の貯蔵は行われていますが、最終処分となる地層処分の場所は決まっていません。
そこで、真摯な議論が求められるのは、地層処分の場所をどこにするかということではなく、高レベル放射性廃棄物を最終的には地層処分するというやり方が許されていいのかということであります。
高レベル放射性廃棄物をガラス固化体にして、キャニスターという容器におさめた一本の重量は約五百キログラムですが、これがどれほど強い放射能を有しているかということは、人がこれに触れれば二十秒で致死量に達する放射線を浴びるということからもわかります。
放射能の大きな単位にキュリーというのがあります。一キュリーの放射能で、一平方キロメートル全地域が立入禁止になるほどであります。
ガラス固化体の放射能をあらわすには、この単位が向いているようでありまして、ガラス固化体キャニスター一本の放射能は、これがつくられた当初一カ月は三百九十二万キュリーであります。
日本の国土面積は約三十八万平方キロメートルでありますので、一本で日本の十倍強の広さが立入禁止になるほどの放射能がある計算になります。
放射性物質は、時の経過とともに減っていきますが、このガラス固化体キャニスター一本の放射能は、一万年後も六百キュリー残っております。百万年たっても、同じ重量のウラン鉱石の五百倍の放射能があり、ウラン鉱石と同程度の放射能になるまでには、数千万年の時間の経過を要すると見られています。
二○○九年二月、アメリカ政府が「高レベル放射性廃棄物は、百万年の監視を要する」との見解を明らかにした背景には、こうした事実があると思われます。
こうした極めて高濃度の放射性廃棄物のガラス固化体が、六ヶ所村には、現在既に千三百本以上貯蔵されています。これらのガラス固化体は、実はフランスやイギリスで再処理されたものであります。
六ヶ所村再処理工場は、液状にした高レベル放射性廃棄物のガラス固化に成功しておりません。そのため、六ヶ所村工場には、高レベル放射性廃液が二百四十立方メートルたまっています。
これは、その一立方メートルが漏れただけでも、東北地方北部と北海道南部の住民は避難しなければならなくなるほど危険なものであります。
しかし、この技術的課題は克服されるとの前提で、我が国の原子力事業は進められているようで、現行の計画どおり原子力発電が行われていき、発生した使用済み核燃料を再処理してガラス固化していけば、その数量は、平成三十三年までにキャニスター四万本に達すると推計されています。
これが全部地層処分された場合、一万年後も一本に六百キュリーの放射能が残っていますので、総計二万四千(二千四百万)キュリーの放射能が地中に残っている計算になります。これは、日本国土の六十倍強の面積が立入禁止になるほどの放射能であります。
こうしたものを地層処分にするということは、自分やせめて子や孫の世代さえよければいいという、まことに身勝手な発想に由来するもので、環境倫理にもとるばかりでなく、これから数千年、数万年にわたって、日本列島、地球に生をうけることになるであろう人類に対する重大な罪であると考えます。
元東大総長の小宮山宏氏は、「原子力は、二十世紀後半から二十一世紀にかけての過渡的なエネルギーであり、二十二世紀は太陽エネルギーの時代に向かうであろう」と述べていますが、そうだとすれば、放射性廃棄物を出さない原子力発電の技術体系の確立に取り組まなければなりません。
今日の原子力発電が安全性や放射性廃棄物の問題を根本的に解決できていないのは、元来、米軍が軍事利用目的で原子力潜水艦のために開発した原子炉を民間用原発として実用化したものであるからです。
現在の原発は、要は、火力発電の燃料を核燃料にしたものであり、核燃料を使う危険性を、安全措置を何重にも施すという多重防護というやり方で封じ込め、安全性を確保しようとしています。
しかし、このやり方では、事故のたびに新たな安全基準を設定して防護策を強化するということを繰り返していくものの、あらゆる事態を想定して防護策を施すことは不可能に近いので、想定以上の事態に遭遇したとき、重大事故を引き起こしてしまいます。
福島第一原発事故が、まさしくそうした例であります。
ここでは、津波の高さは五メートルと想定されていましたが、実際は十五メートルの津波に襲われました。
原子炉で水素爆発は構造上起こらないと確信されていましたが、次々と水素爆発が起こり、原子炉建屋が破壊されて、大量の放射性物質が放出される結果となり、原発事故レベルは、チェルノブイリと同じ最悪事故レベル七となりました。
二十一世紀の人類生活のために原子力の平和利用は不可欠というのであれば、そのための原子炉は、安全性という点においては、化学原理、技術原理の上から重大事故を起こさない設計のものでなくてはならず、原子力利用のトータルなサイクルの中で、放射性廃棄物は解消され、地球環境を汚染しないものでなければなりません。
そうした設計思想に基づく新しい型の原子炉が開発されれば、私は、その原発の推進論者になりたいと思います。
しかし、現行の原発からは脱していくべきだと考えております。したがって、現行の型の原発を新設、増設していくことには反対であります。
前置きが長くなりましたが、福島第一原発で使われていた沸騰水型原子炉と基本的に同型である上関原発の建設計画の中止を求める論拠を明らかにするため、以上述べさせていただきました。
それでは、これまで申し上げましたことを踏まえ、上関原発建設計画への県の対応について、数点お伺いいたします。
(1)脱原発について
菅首相は、五月十日の記者会見で、福島第一原発事故を受けた今後のエネルギー政策について語り、「従来の計画を白紙に戻して議論する」と述べ、原発への依存を減らす方針を表明しました。
また、小泉元首相は、五月二十八日、横須賀で講演し、「自民党政権も原発を推進し、過ちもあった。これからは原発をふやすのは無理で、大事なのは、いかにして原発への依存度を下げていくかだ」と述べました。
私は、こうした菅首相や小泉元首相が言う原発への依存を減らす方向も、脱原発だとみなしております。
脱原発にも、原発の新設・増設は認めないのはもちろん、現在稼働している原発も即刻廃止することを求める原理主義的脱原発と、原発の新設・増設はしないことから出発して、電力事情に応じて順次原発依存を減らしていく現実的脱原発の二通りあります。
今日、国民の多くは、現実的脱原発を支持しており、菅首相も小泉元首相も、その方向に進むべきことを表明したものと思われます。
脱原発は、決して時代便乗でもなく、大衆迎合でもありません。福島第一原発事故と真剣に向き合った結果であります。
そこでお尋ねであります。私は、山口県は原発の新設・増設は認めないが、現在使われている原発を減らしていくことは、電力事情に応じて対応していく現実的脱原発の立場に立つべきと考えますが、このことにつき知事の御所見をお伺いいたします。

【回答】(2)エネルギー基本計画の見直しと上関原発について 参照

2011年6月30日