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20号コラム |
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『思うことから始まる』
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松下電器(現パナソニック)の創業者・松下幸之助氏が、関西経済人会の講演にて「ダム式経営の効用」を熱心に語りました。ダムが水を溜めるように、人材や資金を溜めておき余裕を持って経営することの効用を説いた訳です。
講演が終り、参加者が質問しました。どうしたらダム式経営が出来るのでしょうか。」と。松下氏は、暫くうつむいて考え、答えました。「それは、ダム式経営をやろうと思うことです。」と。この回答に、会場からは失笑が漏れ、質問した人は、「まともに答えていない。」と思って憤然としたそうです。
ところが、この松下氏の言葉に、全身が震えるような感動を覚えた青年企業家がいました。京都セラミックを創業したばかりの、若き日の稲盛和夫氏、その人です。「そうか、思うことから始まるのか。」、深い感動の中で稲盛氏は、そのことを感得したのでした。
以後、彼は仲間8人で設立した京都セラミックを、上場大企業(現在社員7万人)にまで育て上げ、また、第二電電(現在のKDDI)を設立し経営を軌道に乗せ、最近では、日本航空(JAL)の再建を見事に成功させました。
この言葉、「思うことから始まる。」の受け止め方は様々でしょうが、夢を実現していく人生の真理が秘められていることは確かなようです。
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(合志栄一)
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19号コラム |
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『歓迎 ケネディ大使』
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戦後のアメリカ大統領の中で最も人気があるケネディ大統領の長女キャロライン・ケネディさんが、昨年の秋に駐日アメリカ大使に就任しました。このことを心から歓迎し喜んでいます。
外交経験がないことを心配する向きもありますが、アメリカのロイヤルファミリーの筆頭であるケネディ家、そのケネディ家を代表する歴史的人物ケネディ大統領の愛娘であるキャロライン・ケネディさんの駐日大使就任は、間違いなく日本とアメリカの友好の絆を深め、その意義は大きいと思います。
「国が諸君のために何をなすことができるかを問い給うな。諸君が国のために何をなすことができるかを問い給え。」これはケネディ大統領就任演説の有名な一節ですが、彼は続いて次のように呼びかけています。
「わが友である世界の市民諸君。アメリカが諸君のために何をしてくれるかではなく、我々が共に人類の自由のために何ができるかを問い給え。」と。
ケネディ大使の就任を機に、我ら日本国民がこの呼びかけに応え、人類の自由と世界の平和の基礎としての日米協調、日米同盟関係が、よりしっかりしたものになっていくことを願っています。
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(合志栄一)
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18号コラム |
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『抜かずして勝つ剣』
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友人のH氏は、剣道を生涯の趣味とする教士七段です。
ここ数年、剣道界の最高段位である八段への昇段を目指して精進、挑戦を続けていますが、なかなかうまくいきません。
剣道では、七段になるにも相当の年季と修練を要しますが、その練達の七段の剣士であっても八段への昇段審査の合格率は1〜2%程度で、合格者の殆どの方が5〜10回受験されています。
正しく難関中の難関であります。
H氏が、最近御縁が出来たある識者に、そのことを話したら「抜かずして勝つ剣を目指しなさい。」とアドバイスされたそうです。
「抜かずして勝つ剣」は、実際に刃を交わすことなく勝を制しますので、血を流しません。
そういう意味で「平和の剣」と言ってもいいでしょう。
日本の建国物語は、大和の地を平定する際、苦戦を強いられた神武天皇が、「刃に血ぬらずして勝つ」ことを叡慮されたと伝えています。
明治維新は、王政復古の大号令に始まりますが、そこでは諸事「神武創業の始に原(もと)づく」旨、宣言されています。
その後の、我が国の歩みは近代国家として目覚ましい躍進を遂げた半面、苦戦、苦闘の連続でありました。
そして今日、日本は、神武創業の故事に倣い「刃に血ぬらずして勝つ」ことに思いを致し、「抜かずして勝つ剣」の徳を備えた国となり、世界平和の大業を成就すべき時を迎えているのではないでしょうか。
H氏から聞いた「抜かずして勝つ剣」の話から、気宇壮大な希望の二十一世紀地球村ストーリーが浮かんできました。
もっとも、先ずは私たち自身が身近な人生百般において「抜かずして勝つ剣」の域に達したいものですね。
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(合志栄一)
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17号コラム |
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『人生の応援歌』
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行きつけの居酒屋で、時々一緒になったお客さんとカラオケを歌い盛り上がることがあります。
そういう時の、持ち歌の一つが坂本冬美の「風に立つ」です。
この歌を知ったのは、平成14年の山口市長選挙に出馬した頃で、湯田の街のとあるスナックが、私を支持するグル―プ仲間の溜まり場のようになり、「風に立つ」を、皆で歌っては大いに盛り上がり勝利への闘志を燃やしたものでした。
選挙結果は見事当選、以来この歌は私の人生の応援歌となりました。
1番から3番まで、どの歌詞も私の気持ちにピッタリなのですが、特に2番の「泥にまみれて涙流しても、心に錦の華を持て」の一節は、グッと来ます。
1番、2番、3番とも締め括りは同じで「そうさ、人生やるっきゃないさ。」の繰り返し、ここを想いを込めて歌い終わると少し高揚した気分になります。
確かに色々あろうとも、やるっきゃない人生。
これからは、世のため人のため泥にまみれて、皆さまと共に喜びの涙を流す、そんな人生を歩んでいきたいと願っています。
時々この応援歌で自らを励ましながら。
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(合志栄一)
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16号コラム |
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『政治責任』
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我が家から歩いて10分ぐらいのところに人気の居酒屋がある。
店主Mさんをみんなが船長と呼ぶ。彼が多年にわたり主に舞鶴と小樽間の北海道航路大型フェリーの船長をやっていたからである。
38歳で船長職を務めるようになった時、Mさんは若くして船長になった喜びよりも、思い悩む日々がしばらく続いた。
「船長は、船の運航の最終責任者である。船の事故が起こったとき責任取るのも船長だ。しかし、実際は責任とれないのではないか。大勢の客が犠牲になるような事故が起こった時、たとえ死んでお詫びしてもすまない、責任取れない。どうしたらいいのか。」、Mさんの悩みはそういうことであった。
そして、彼はある思いに達する。「そうだ、乗組員から船長は『金玉が小さい。臆病者だ。』等々、なんといわれようと事故を起こさないために自分がやるべきと思うことは全てやる。
石橋を渡るのに一回叩いた上に、もう一回叩いて安全を確認する、そういう姿勢でやっていくことにしよう。」と。
以来60歳までの22年間、Mさんは一度も事故を起こすことなく船長としての任務を立派に全うした。
ビールを飲みながらM船長から聞いたこの話は、責任の自覚とはどういうことなのかを端的に物語っている。
大飯原発の再稼働が政治の責任で決断された時、M船長の話が思い出された。しっかりした責任の自覚があって信頼がある。
特に、政治にそのことが求められている。そんな思いを深める昨今である。
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(合志栄一)
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15号コラム |
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『四つ葉のクローバー』
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「おとうさん、これ。」
と言って、妻が渡してくれたのを見たら、若かりし日の私の顔写真の横に四つ葉のクロバーが貼ってあった。
結婚前のことらしいが、私が妻に四つ葉のクローバーをあげたのを、そういう形にして何かのファイルに挟んで大事にとっていたようだ。それを、いつの間にか忘れていたのが去年の秋、片づけものしている時に、何十年振りかに発見したのだった。
私は、子どもの頃から、四つ葉のクロ―バーを探すのが好きだった。
それが現在、私の後援会や女性の会のシンボルマークになっている。
始まりは、平成十年に参議院選挙に出た時、運動の盛り上げのために作った「うちわ」であった。特段打ち合わせをしたわけでもないのに、出来上がった「うちわ」を見たら、真ん中に四つ葉のクローバーがデザインされていた。
不思議な感もあるが、「幸せを招く」と喜ばれる四つ葉のクローバーが、そういう自然の流れの中で、我が会のシンボルマークとして定着した。
今年も一年、四つ葉のクローバーにふさわしい働きをすることを、年頭の誓いとしたい。
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(合志栄一)
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第12回合志栄一勉強会 |
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平成23年6月29日 於:防長青年会館 |
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『日本の食料自給率はこれで良いのか』?
県立大・小川雅広教授が2時間の熱弁
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日本の食料自給率は、カロリーベースで40%である。国は、この値が低いと考え国民的なキャンペーンを張って自給率の向上を訴えている。
しかし、自給率は依然40%のままである。
本講演では、なぜ自給率は上がらないのかの答えを見つけるために、なぜ自給率が下がったのかの理由と40%自給率の是非について考えてみたい。
講演に先立ち山口認定農業者の会の方に自給率40%をどう思うかを問うアンケートを実施したところ90%以上の方が低過ぎると回答をした。
その理由を尋ねると、食料不足や食料危機に備える必要が有ると言うのが大方の答えであった。
2004年アメリカのアースポリシー研究所のレスターブラウン氏は、「フードセキュリテイー誰が世界を養うのか」と言う著書を著し、その中で世界食料危機が到来することを予言した。
そしてそれを回避するための10の提言を行なった。
その中で特に人口増加、中国インドの急速な肉食志向化、世界食料生産の限界、地球温暖化による食料生産へのダメージ、そしてバイオエタノール問題が、当面大きな影響を及ぼすと言及した。
2008年東京大学の川島博之氏は、レスターブラウンのとなえる説に反論するため世界の食料生産について統計学を駆使して調査を行なった。その結果、レスターブラウン氏の予測は、大方外れると言う結論を導き出した。
さらに川島氏は、2010年に「食料自給率の罠」と言う本を著し、その中で日本の食料自給率の低下は、戦後日本の復興と発展のための必然的な結果であったと結論した。
つまり、日本の食料自給率は、高度成長期になって70%を維持していたが、それ以後低下の一途をたどり、食管法が廃止される1995年頃に40%となり、以後40%を維持し続けている。
この間国は自給率向上のための政策を実施してきた。
しかし、現在に至っても自給率の向上は出来ていない。
日本の食料自給率の低下は高度成長期に入ってから起こった。
この現象は、すなわちGDPが向上すると農業生産額が低下することは日本にだけ起こったことではなく、どの先進国でも起こっていることであった。
この急速な食料自給率の低下は、食生活の欧米化したことも起因しているが、それは人々が豊かになってゆくと共に豊かな食生活を志向し、食べたいものを輸入するようになるごく自然の成り行きであった。
従って食料自給率40%は、日本人は是としている事を意味している。
日本の自給率が向上しない理由は、日本人が豊かな食生活を選択した結果であった。
しかし、実際の日本の農業生産額は世界でも5位を維持しているのである。
日本政府の方針とは別に世界に通用する農業が一方では生まれている。
従って日本人はカロリーベースの食料自給率に目を奪われるのではなく、現実の農業のあり方に目を向けるべきである。
さもなければ本当の日本の食料自給率の向上はあり得ない。
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(講演抄録)
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14号コラム |
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『毎日、少しずつ』
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イエローハットの創業者、日本を美しくする会の相談役、鍵山秀三郎先生の講演を、久方ぶりに聞いて心に沁みました。
日常生活に即してのお話が、なぜか心に響きます。
そして、何か壮大なヴィジョンを話して、聞く人を魅了したいという誘惑に駆られがちな自分が恥ずかしくなりました。
特に、「成程!」と思ったのは、整理整頓に関しての質問に応えてのお話。「その内、まとめて一気に誰かが」ではなく、「毎日少しずつ、出来るだけ、私が」の心構えが大事とのこと。
妻に言い聞かせるのではなく、先ず自分から実行しようと心に期しました。 |
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(合志栄一)
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13号コラム |
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『父の笑顔』
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父を思うと、父の笑顔が浮かんでくる。
山口の我が家に来て3年、昨秋、父はにわかに旅立って逝った。
「同じ日本ではないか。」と言って、本籍、墓地を山口にすることを認めてくれた父。
陸士卒の職業軍人であったが、平和の大切さを誰よりも感じていた父。
母が言った年の暮、父は山口に来た。
以来、父妻娘私の4人の生活が始まった。
最初は、父のお世話をしているつもりであったが、父は、私たちの心の中の尊いものを引き出してくれた。
父が熊本から来てくれたおかげで、新しい家が建った。
父が山口に来て、4人兄弟の家それぞれが整っていった。
母が逝って3年7ケ月、父は子どもたちのために、やるべきことをやり尽くして逝った。
90年の人生すべてを包み込んだ笑顔を残して。 |
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(合志栄一)
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12号コラム |
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『心とコンピューター』
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山口大学の学長を務められた広中平祐先生は、山口県の由宇町の生まれで数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞された日本を代表する数学者であります。
その広中先生が、山大の学長を辞められた後も、自ら学長をしておられた市民大学の講座で講演されたのを聴講したことがあります。その講演で、先生は数学の定義について語られ、「数学とは、無限なるものの有限化である。」と話されました。そして、「有限化とは、コンピューター処理できるようにすることである。」と補足されました。
私は、講演が終わった後、広中先生に尋ねました。「存在するものすべてを100とした場合、コンピューター処理できるものの割合はどれほどですか。」と。この問いに対して広中先生は、「50です。心の世界はコンピューター化できません。」と答えられました。
この先生の答えは、世の中の在り方を考える上で大事な視点を提供していると思います。「コンピューター処理できるようにする。」ということは、数値化するということであります。今日の時代、あらゆる面で、その数値化が進行し、そのことに基づいて物事を評価し、対応していくということが一般化しています。しかし、その時、私たちは、「数値化できるのは、存在するもののすべてではない、半分に過ぎない。」ということを見失ってはならないのではないでしょうか。
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(合志栄一)
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